神前結婚式と告別式は、なぜ興隆したのか。ひとつの理由は互助会や式場が提供した式のスタイルがそれだったことが考えられる。しかし、ユーザーの側からいえば、このような形の式が、当時の日本人のライフスタイルにマッチしていたからだろうと思われる。冠婚葬祭的にいうと、高度経済成長期は「多婚少死」の時代である。一九六〇年代後半〜七〇年代前半は、一九四七〜四九年生まれのベビーブーマー、いわゆる団塊世代が結婚年齢に達した時期だ。結婚数・結婚率がピークに達するのは一九七二年。この年の婚姻件数は史上最大の約一一〇万件である。互助会が急激に販路を広げたのも、一九六四年の東京オリンピック時に続々と建設されたホテルが五輪後は結婚式事業で成功したのも、空前の結婚ブームのおかげである。一方、戦後、平均寿命は伸びつづけ、一九五〇年には女子六五歳、男子五八・〇歳だったのが、一九七〇年には女子七四・六歳、男子六九・三歳。死亡数・死亡率は一九五五年までに半減し、一九八〇年まで七〇万件程度で推移する。
もともと仏教に帰依した僧侶に与えられる名が戒名だったが、一般人が生前に帰依することはないから、死者となって初めて、仏・法・僧に帰依して三帰戒を受けるとして授けられるものになった。宗派によって別の呼び方をし、法名、法号も同じものである。たいていは葬儀をつかさどる僧侶につけてもらうことになる。その際、ほとんど生前の名前から一文字を取ってつくられる。その戒名にも格があり、宗派により決まりはいろいろある。ごく一般的なのは信士(女性なら信女)、子供なら童子(女の子は童女)だが、最高のものは院殿と大居士(女性なら大姉)、次の位が院と居士(女性は大姉)で、××院×××居士というようにつけられる。本来は帰依の度合いとして、生前の寺への貢献度や信心の度合いを僧侶が判断して格付けしていたが、現在はお布施の金額によって左右されるのが現実だ。
オフィスではビルに入る前に、家庭を訪問するときは玄関を入る前に脱ぐのがマナー。脱いだコートは外側を中にして軽くたたむ。コートについたチリを中に持ち込まないためだ。ただ、これは訪問のアポイントメント(約束)を入れていることが大前提。約束をしていない場合には「入れろ!」という無言のプレッシャーになる。ビジネスでアポなし訪問は禁物。そのときは、「すぐおいとまいたしますので、コートを着たままで失礼します」と一言添えて。帰るときも外で着るが、「どうぞここで着てください」と言われたら、室内で着てもよい。雨の日に濡れた傘をたたまずにビルの中に入るのもマナー違反。建物の外で傘を閉じてしずくを払い、たたんでから入ること。洋服やバッグが濡れていたら、受け付けをする前にハンカチやタオルで押さえておこう。
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